LGBTQ+とはどんな人たち?セクシュアルマイノリティへの理解を深めよう

あなたの身近にはゲイやトランスジェンダーの個性を持つ人はいるでしょうか?きっと「そうした人がいるのは話に聞いたことがあるけど、知り合いにはいない」という人がほとんどでしょう。

しかし、本当にあなたが出会った人のうち、たった1人もいなかったのでしょうか?

セクシュアルマイノリティの割合は全人口の10%という調査結果があります。もし100人の知り合いがいれば10人、10人の知り合いなら1人が、残りの90%の人とは違う“性”を持っているのです。

参考:性的マイノリティは全人口の10%という調査結果が発表されました

日本でもセクシュアルマイノリティのカミングアウトをする人が増えてきました。しかし、カミングアウトできない人の方が圧倒的に多いのも事実です。

そんな中私はフィリピンで4歳までの時間を過ごし、ゲイの家族と過ごすことでセクシュアルマイノリティを身近に感じてきました。彼ら・彼女らとの関わりの中でわかった、彼らの生き方をお伝えします。

LGBTQ+とは

セクシュアルマイノリティ(=性的少数者)の人たちがそれぞれ持つ個性の頭文字を取って「LGBTQ+」と表現します。

  • L:レズビアン
  • G:ゲイ
  • B:バイセクシュアル
  • T:トランスジェンダー
  • Q:クィア/クエスチョニング
  • +:多様なセクシュアルマイノリティ

LGBTは誰もが聞いたことがあるかもしれません。

  • L=女性が女性を恋愛対象
  • G=男性が男性を恋愛対象
  • B=自分の性別問わず女性も男性も恋愛対象
  • T=生まれた時の性別が自分の性同一性と異なる

「Q」は「クエスチョニング・クィア」

最近になってQや+と呼ばれる人たちもいるんだという理解が深まり、すべての個性を含んだ「LGBTQ+」という表現になっています。

では「Q(クィア/クエスチョニング)」と「+(多様なセクシュアルマイノリティ)」とはどういう人たちなのでしょうか?

まず「クエスチョニング(Questioning)」とは直訳すれば「問いかけている」という意味。

私たちは周りとの関わりの中で自分の性自認(自分の性を何と考えるか)や性的指向(どんな性を好きになるか)を確立させていきます。しかしクエスチョニングは、こうした性自認や性的指向が定まっていない、もしくはあえて定めていないセクシュアリティです。

生物学上、体は女か男です。しかし自分の性同一性(自分は女だ、男だ、という自我を持つこと)は自認することでしか決まりません。

どのセクシュアリティもピンと来なかったり、問われてもわからなかったり、あるいはあえて決めない方が生きやすかったり…こうした理由でクエスチョニングとして生きているのです。

一方で「クィア(Queer)」とは「風変わりな・奇妙な」という意味。言い換えれば「変態」という意味を指します。

以前は侮辱的な意味で使われていましたが、侮辱されてきたセクシュアルマイノリティの人々が中心となって「自分はクィアである」とあえて自身を指す言葉として使うようになったのです。

クィアはLGBTQすべてを包括する概念であるため、マイノリティ全体が一致団結する働きがありました。

現在はNetflixで「クィア・アイ」というゲイ5人組が大活躍する番組が作られるほど。「私はクィアです」と明かしたり、番組によってクィアの魅力が世界中に発信されたりすることで、セクシュアルマイノリティのプラスイメージが広がっていくのです。

どんなマイノリティも受け入れる「+」

ここまでで取り上げたセクシュアルマイノリティがすべてではありません。

中には恋愛感情も性的欲求も抱かない「アセクシュアル」や男女の枠に属さないとする「Xジェンダー」、人ではなく物に対して恋愛感情を持つ「対物性愛(オブジェクトセクシュアリティ」も存在します。

あらゆるセクシュアルマイノリティが存在し、それらすべてを受け入れるという意味で最後に「+」が使われているのです。さらにこの「+」は、今後新たなセクシュアルマイノリティが登場したとしても一緒に包括できるという面も持っています。

また同じような意味で「LGBTs」と「s」を加えることで、LGBT以外のマイノリティを含める場合もあります。

今後はLGBTQ+」や「LGBTsと表現したいですね。

フィリピンはLGBTQ+がたくさんいる。だけど…

私はフィリピンで生まれ、4歳まで過ごしました。その後日本で暮らすようになっても、ほぼ毎年のようにフィリピンに里帰りしては、親戚たちと過ごしていました。

フィリピン人は親戚との距離が(物理的にも精神的にも)近く、家族を大切にする風習があります。30人くらいいた親戚の中には、少なくとも2〜3人はセクシュアルマイノリティがいました。

自分がLGBTQ+だと公言していましたし、自分らしく振舞っていたため、「バクラ」と呼んでいじることはあれど、その人のセクシュアリティを否定することはありませんでした。

街の中にもLGBTQ+がたくさん。自分を堂々と表現する国なのです。

しかし、すべてのLGBTQ+が幸せに暮らしていたかというと、そういうわけではありません…。

宗教上の罪

フィリピンはキリスト教国家。家の中にはキリスト像がありますし、日曜日には教会が座る場所もないほど混雑します。

LGBTQ+もキリスト教徒がほとんどですが、キリスト教において、同性愛は宗教上の罪とされています。

そのためLGBTQ+を目の敵にして、いじめ、差別発言、軽蔑の視線は消えません。街を歩いてても暴言を吐かれることもありますし、男子トイレに行けば「女子トイレに行けよ!オカマ!」と追い出されることもあります。

そして何より、自分の信じるものが、自分自身を受け入れてくれない…その苦しさは、熱心な教徒ほど大きいのです。

政治家は保守的な姿勢

フィリピンのドゥテルテ大統領は「かつては自分も同性愛者だったが『治した』」と発言し、物議を醸したことがありました。『治した』という表現が、多くのLGBTQ+たちに違和感を与えたことは言うまでもありません。

2015年にドゥテルテ大統領は同性婚を推奨していましたが、2016年に大統領に当選すると、同性婚ではなく“異性婚と同等の権利を認める”シビル・ユニオン制度を支持。「同性婚」と「異性婚と同等の権利」とでは似ているようですが、実質的には「結婚ではない」ため、まったく違うものなのです。

さらに、次のようにも述べています。

われわれはカトリックで、(男である)自分が結婚できるのは女性のみ、女性は男と結婚すると定めた民法がある。これぞフィリピンの法律で、なぜ(多種多様な)ジェンダーを受け入れなければならないのか

ドゥテルテ大統領のスピーチより(2017年)

このように、政治家はLGBTQ+に対し保守的な姿勢です。

政治が変わり法律が変わることで、セクシュアルマイノリティに悩む人たちが幸せになれるのは、全米で同性婚が合法化した事例からわかります。今後LGBTQ+を受け入れる法律ができることを願うばかりです。

参考:フィリピン大統領「私も同性愛者だったが『治した』」|Newsweek

想いを伝えられないつらさ

LGBTQ+には、自分が好きになった相手に想いを伝えられないつらさもあります。

日常的に「LGBTQ+ってどう思う?」なんて会話はできません。想いを伝えて拒絶されたら…?軽蔑の目で見られたら…?今までの関係が壊れたら…?そう考えると、想いを伝えられないのです。

その人を見ていれば、自分のことをどう思っているのか(受け入れるのか、もしくは嫌っているのか)がわかるそう。言葉では「偏見ないよ」とは言っていても、人間はどうしたって態度に出るものなのです。

そして最も問題にすべきなのは、セクシュアルマジョリティの「他人なら別に良いと思うけど、自分に関わるのは勘弁」という本音。

LGBTQ+は自ら「ゲイになる!」「トランスジェンダーになる!」と決めて生まれてきたわけではありません。気付いたらそうなっていた、生まれたときからそうなっていたのです。

いざ自分の友達がLGBTQ+だと告白したら?自分の息子がゲイだとカミングアウトしたら?

問われているのはセクシュアルマイノリティの在り方ではなく、セクシュアルマジョリティがいざ直面したときの在り方なのです。

もっと身近に感じてほしい、LGBTQ+の存在

日本ではほとんど見かけないLGBTQ+の人たち。その一方でフィリピンでは一目で気付きますし、よく見かけます。

LGBTQ+が自然発生的なのであれば、1つの国に極端に偏るということはありません。つまり、日本では少なくフィリピンで多いということは、カミングアウトしている人の差であること。日本では「みんなと同じ」になるように育てられるため、セクシュアルマイノリティであってもうまく隠して生きている人が多いのです。

最初に言った通り、セクシュアルマイノリティの割合は全人口の10%。あなたのもっと近くにLGBTQ+の人がいるかもしれません。そして彼ら・彼女らを、もっと身近に、もっと親密に感じてほしいのです。

日本でもLGBTQ+を応援し、セクシュアルマイノリティへの理解を深めるためのイベントが各地で開催されています。

画像:東京レインボープライド 2020年ページ

その中でも一番大きなイベントがレインボープライド。虹のような多様性のある“色”を知り、どんな人たちも生きやすい世の中を作っていきましょう。そのためには、まずはあなたが“ただ理解する”だけでもいいのです。