
「若い時の苦労は買ってでもせよ」を実行すべき理由|共感力を鍛える
親しい人の悩みを聞いていたら、こちらの方が涙を流してしまった。または、誰かの勇気ある姿にジーンと感動した。そんな経験はありませんか?
誰かに寄り添って痛みや辛さを分け合ったり、一緒に喜びを感じてくれたりする人は、誰からでも大切にされる人です。周りから大切にされていると人生の幸福度も上がります。
では、そんな人物になるにはどうすればいいのか?答えは「若い時の苦労は買ってでもせよ」という言葉の中にあります。
人間力を上げるのは「共感」する力
現代の人は、インターネットを通して24時間繋がれるにも関わらず、他人にはほとんど興味を示さないのではないでしょうか?誰も彼もが、自分の人生を生きるのに精一杯です。
しかし、そんな中でも家族や親友、恋人(もしくは好きな人)、憧れの人など、自分に強い影響を与える相手はいるもの。そんな相手になら、共感を感じることも多いでしょう。
共感とは、他人の体験する感情を、自分のもののように感じること。もしくは、相手の姿が自分の姿のように思えることとも言い換えられます。
この「共感」こそが、あなたの人間力(人としての総合力)を底上げする要素なのです。
人間力の高い人は他人に共感しやすく、人として好かれるだけでなく、お客さんの気持ちも感じ取れるため、仕事でも成功しやすいです。
人は向上しようとする意識が働いており、常に自分をより高みに押し上げようとします。しかし、そんな中で他人に対する共感力が欠如していたら、他人を蹴落として這い上がろうとしたり、他人の悪口ばかりを言うような「嫌なヤツ」になってしまうのです。
逆に共感力が高く、人に寄り添える人はどうでしょうか?自分の感情もあるため聖人とまではいきませんが、きっと人を幸せにして、自分の人生も楽しめるような「好かれる人」になるはずです。
「若い時の苦労は買ってでもせよ」の意味とは
ところで、年長者から「若い時の苦労は買ってでもせよ」と言われた経験はありませんか?
これは「苦労は自分を鍛え、将来役に立つ」とか「自分を成長させる」といった意味を含んで言われます。年長者はアドバイスのつもりで言っているのでしょうが、若い人にとっては老害だと感じることもあるかもしれません。
しかし、共感力を鍛えるという点において、この言葉はあながち間違いではなさそうです。
一番共感しにくいのは男と女だと言えます。体の作りも違えば、本能的行動にも差があるため、子育て中の女性が「私だって辛いの」と泣いたって、男性は「よくわからない」と頭を悩ませることになるでしょう。
確かに、男性でも女性が辛い理由(=子育て)はわかりますが、それは頭だけの「理解」であり、身についたとは言えません。本当の意味で共感するには、体験によってその辛さを実際に感じ取る必要があるのです。
人生において、自分自身が苦労することで自ずと共感力が身につきます。なぜなら、自分も苦労したことで相手の痛みを体験できるからです。
そして「若い時の苦労は買ってでもせよ」という言葉は、新たな意味を持って浮かんでくるのです。
共感力を補えるのは「想い+想像力」
ただ現実問題として、世の中の苦労をすべて体験することは不可能。男性は女性の妊娠を体験できませんし、日本人は貧困国の子供たちと同じ環境で育っていません。
そんな中で共感力を補えるのは「相手の苦労をわかってあげたい」という優しい想いと想像力。
例えば、まったく同じ経験をしていなくても映画のシーンで涙を流すのは、あなたの想いと想像力が働いている証拠です。いわば、相手の体験を疑似体験している状態になります。
しかし、現実は映画のように相手の人生をズームアップして見ることはできませんよね。実はこの想いと想像力もまた、自分にそれなりの苦労した体験がなければ身につかないものなのです。
すべてに対する共感を想いと想像力だけで補うことはできないため、多少の苦労は経験していく必要があります。
それでもやっぱり、苦労はしたくない
それでもやっぱり、私たちは人間です。できればあまり苦労はせずに、ストレスフリーで生きていきたいですよね。
ただ、世の常なのか、それとも何か大きな力が働いているのかはわかりませんが、私たちには必要なとき、必要な苦労が降り注ぐようになっています。いくら苦労を避けようとしたところで、必ずどこかで壁に当たってしまうものです。
しかし、その壁を恐れる必要はありません。人生の苦労は私たちを成長させ、何かを成し遂げさせようとして降り注いでくるためです。
そして何よりも、その体験をすることで他人に対する共感力が鍛えられ、人としての総合力も高まります。他人に共感を示し、自分が苦労を乗り越えた体験を語って大切な人を助けることだってできます。
若い時の苦労はかけがえのない財産となる
「若い時の苦労は買ってでもせよ」
10代や20代、もしかしたら30代までは、この言葉が嫌なものに聞こえるかもしれませんね。苦労の真っ只中にいるときは不安でいっぱい。果たしてこれで良いのかと自問自答し、辛い経験をしているのですから当然です。
しかし長い年月を生きていく中で、パズルのピースがカチッとハマったときのような感覚になることがあります。「あぁ、あの時の苦労が、数十年経った今役に立っている」…そう実感する瞬間が必ず来るでしょう。
そして苦労した分、他人に共感できます。共感できるからこそ、人に優しくなったり、その人が求めている答えを的確に示したりと、役に立つことができるのです。
共感力によって自分が他人を大切にした分、他人からも大切にされる存在に。誰かに大切にされながら生きていく人生は、本当に明るく満ち溢れているものです。